大日本帝国は、何世紀にもわたってすこしずつ頽廃と崩壊をつづけていた。だがその事実を理解している数人の人間もまたここにいた。帝国の滅亡を回避するだけでなく、さらにそれを第一銀河帝国へと発展させるために必要な学問 「心理歴史学」 を完成させるため、我々は日夜文化と人間への探求を進めるのだ!!
Posted by watanavader - 2009.10.08,Thu
Posted by watanavader - 2008.10.29,Wed
Posted by watanavader - 2008.09.30,Tue
Posted by watanavader - 2008.07.11,Fri
アメコミ情報誌「ウィザード」によるキャラ人気投票。うーんまぁそうなるかな。全然妥当。鉄男は36位という絶妙な位置。
1. ???
2. Batman (1位でもいいぐらい)
3. Spider-Man (さすが愛される隣人)
4. Superman (上等!上等!)
5. The Joker (へー。)
6. Rorschach (ロールシャッハって!!)
7. Captain America (意外な高さ。でも鉄男と対立したりと最近かっこいい)
8. Hellboy (新人組だとダントツだよねぇ)
9. Magneto (なるほど。伊達にスピンオフ映画があるわきゃない)
10. John Constantine (そんな人気あんのか。原作読んでみてぇ)
あとダイアナ15位ってかなり高くないっすか?
1. ???
2. Batman (1位でもいいぐらい)
3. Spider-Man (さすが愛される隣人)
4. Superman (上等!上等!)
5. The Joker (へー。)
6. Rorschach (ロールシャッハって!!)
7. Captain America (意外な高さ。でも鉄男と対立したりと最近かっこいい)
8. Hellboy (新人組だとダントツだよねぇ)
9. Magneto (なるほど。伊達にスピンオフ映画があるわきゃない)
10. John Constantine (そんな人気あんのか。原作読んでみてぇ)
あとダイアナ15位ってかなり高くないっすか?
Posted by watanavader - 2008.04.16,Wed
Posted by watanavader - 2007.12.25,Tue
Litt wrote :
BATMAN : YEAR ONE
誤解を恐れずに言えば、バットマンってすごいネガティブな奴じゃないですか。
いや直球過ぎる感想だとは思うんですが、影の濃いというか、暗黒めいた力強さや、美しさとかを持ってるってそうゆう印象。ヒーローになった動機も暗いしさ。でもただそうゆう人は他にも少なくないようで、ハルクとかもロクな生い立ちじゃないし(映画しか観てないです)、マーヴルの人たちなんか皆大概、悩みやらトラウマやらを抱えてるんでしょう?そんなダークなヒーロー達が乱立する世界でも、際だつ黒さを身にまとい、“DARK KNIGHT”という称号をさえ与えられるバットマン。なぜだろう?
ブルースという男が、半分死んでる、というのはあると思う。食べてゆく心配のない、どころか何事をもなしえる莫大な財産があり、頭が良く頑健な身体と美貌を持ち、申し分のない家柄で幼い頃から社会にとても期待される存在で、しかも少年の頃両親を目の前で惨殺された、という人は、気が狂うか半分死ぬしかないだろう。希望と絶望の振幅が大きすぎるからだ。って理由付けは陳腐に聞こえるかもしれないけど、だからこそあそこ(YEAR ONE 本編参照)まで自分を追い込み、「死ぬか、生きるか」という場所でしかヒーローとしての自分を誕生させ得なかった、という所にバットマンのリアリティがあると思う。
改造手術とか遺伝子操作を受けたり、宇宙放射線やなんかを浴びたわけでもない。自ら望んで異形のモノになった男だから、普通の人間なのに、スーパーマンと渡り合えるぐらい強い。それは「意志の強いヤツが強いのだ」という、ある意味でとてもアメリカ的な考え方の体現でもある。ブルース・ウェインの光溢れる人生から生み出されたもう一人の人格は、もとの分身に見合うくらいにパワフルな影を持っていた、というわけだ。そうしたブルース本人の中のバランスとは別に、バットマンという「影」の存在を強烈にあぶり出す、もうひとつの力強い光源とも言えるキャラクターが、このシリーズには存在する。本編のもう一人の主人公、ジェームズ・ゴードンその人だ。
半分死んでて、人間としてのプライベートな部分をほとんど描かれないブルースに対して、ゴードンに関する描写は、この“YEAR ONE”でも先の“DARK KNIGHT RETURNS”や“KILLING JOKE”においても、実に細かく、時にちょっと気の毒なくらいに微に入り細をうがつ。子供を持つ事への不安、老いへの不安。夫婦関係の軋み、果ては職場不倫や妻の自然食品愛好に関するあきらめ混じりの苛立ちなど、中年男の悩ましい輪郭が深く刻まれたその姿は、ただの単細胞な正義漢ではない、汚れや罪深さを併せ持つ、多面的で、それでいて不器用で、生きることに必死な男として描かれている。まったく、マンガのいちキャラとしては複雑すぎる人間性。
とある識者をして、「YEAR ONEを読めば、KILLING JOKEでジョーカーにやられたぐらいの事じゃ、ゴードンが音を上げたりするような男じゃないってことがよく分かる。あいつは筋金入りさ」と言わしめた彼の強靱さは、こうしたキャラクターの厚みによってもたらされたものといえるだろう。警官として、仲間の汚職や凶悪事件とも戦わなくてはいけない。銃を持って子供を人質に立てこもったラリパッパを丸腰で鉄拳制裁。同僚から受けるリンチにも冷静に対処、ほどよくリベンジ。バットマンというヒーローが背中を預けるに足る、タフでクレバーで強い男。そうでなければ、ゴッサムシティの警部補(警部に昇進)は勤まらないのだ。彼の照射するなまなましい「生」の光線が、ゴードンの影、=バットマンを鋭く浮かび上がらせる、という構造が、この作品には欠かせないものになっている。
ウェインとゴードン、二人の「コンビ」が結成されるラスト、夜空に点る、巨大なバットライト…とかいったような演出はない。だいいち、ウェインはバットマンの格好すらしていない。そっけない会話が交わされ、お互いを分かり合った二人の男が、それぞれの場所へ帰る。それで十分だ、といわんばかりのシンプルでけれんみのない終幕は、これ以降のストーリーのふくらみを予感させて素晴らしいです。
完全に余談ですが、YEAR ONE、今まで読んだアメコミの中で、一番グラフィックが好き。フランク・ミラー自身の絵もすてきだけど、マズッケリさんの描くちょっとぽってりした線がまた。あとカラーリング、芸術の域じゃね?シーン替わりでの左右のページの色味の塗り分けしてるところなんか、鮮やかで悶えます。着色そのものは、原色使わない、渋かったり淡かったりの微妙な色合いなんだよねぇ。巻末の付録にあった、線画と独立した彩色原稿は、あれだけで一枚の絵として成立してる。あと単行本化以前の、新聞紙に印刷されたコミックブックの時点での彩色も素晴らしい。むしろアレで読みたい、くらいの感じです。リッチモンドさん、ゴッジョブ!(GOD-Job!)
BATMAN : YEAR ONE
誤解を恐れずに言えば、バットマンってすごいネガティブな奴じゃないですか。
いや直球過ぎる感想だとは思うんですが、影の濃いというか、暗黒めいた力強さや、美しさとかを持ってるってそうゆう印象。ヒーローになった動機も暗いしさ。でもただそうゆう人は他にも少なくないようで、ハルクとかもロクな生い立ちじゃないし(映画しか観てないです)、マーヴルの人たちなんか皆大概、悩みやらトラウマやらを抱えてるんでしょう?そんなダークなヒーロー達が乱立する世界でも、際だつ黒さを身にまとい、“DARK KNIGHT”という称号をさえ与えられるバットマン。なぜだろう?
ブルースという男が、半分死んでる、というのはあると思う。食べてゆく心配のない、どころか何事をもなしえる莫大な財産があり、頭が良く頑健な身体と美貌を持ち、申し分のない家柄で幼い頃から社会にとても期待される存在で、しかも少年の頃両親を目の前で惨殺された、という人は、気が狂うか半分死ぬしかないだろう。希望と絶望の振幅が大きすぎるからだ。って理由付けは陳腐に聞こえるかもしれないけど、だからこそあそこ(YEAR ONE 本編参照)まで自分を追い込み、「死ぬか、生きるか」という場所でしかヒーローとしての自分を誕生させ得なかった、という所にバットマンのリアリティがあると思う。
改造手術とか遺伝子操作を受けたり、宇宙放射線やなんかを浴びたわけでもない。自ら望んで異形のモノになった男だから、普通の人間なのに、スーパーマンと渡り合えるぐらい強い。それは「意志の強いヤツが強いのだ」という、ある意味でとてもアメリカ的な考え方の体現でもある。ブルース・ウェインの光溢れる人生から生み出されたもう一人の人格は、もとの分身に見合うくらいにパワフルな影を持っていた、というわけだ。そうしたブルース本人の中のバランスとは別に、バットマンという「影」の存在を強烈にあぶり出す、もうひとつの力強い光源とも言えるキャラクターが、このシリーズには存在する。本編のもう一人の主人公、ジェームズ・ゴードンその人だ。
半分死んでて、人間としてのプライベートな部分をほとんど描かれないブルースに対して、ゴードンに関する描写は、この“YEAR ONE”でも先の“DARK KNIGHT RETURNS”や“KILLING JOKE”においても、実に細かく、時にちょっと気の毒なくらいに微に入り細をうがつ。子供を持つ事への不安、老いへの不安。夫婦関係の軋み、果ては職場不倫や妻の自然食品愛好に関するあきらめ混じりの苛立ちなど、中年男の悩ましい輪郭が深く刻まれたその姿は、ただの単細胞な正義漢ではない、汚れや罪深さを併せ持つ、多面的で、それでいて不器用で、生きることに必死な男として描かれている。まったく、マンガのいちキャラとしては複雑すぎる人間性。
とある識者をして、「YEAR ONEを読めば、KILLING JOKEでジョーカーにやられたぐらいの事じゃ、ゴードンが音を上げたりするような男じゃないってことがよく分かる。あいつは筋金入りさ」と言わしめた彼の強靱さは、こうしたキャラクターの厚みによってもたらされたものといえるだろう。警官として、仲間の汚職や凶悪事件とも戦わなくてはいけない。銃を持って子供を人質に立てこもったラリパッパを丸腰で鉄拳制裁。同僚から受けるリンチにも冷静に対処、ほどよくリベンジ。バットマンというヒーローが背中を預けるに足る、タフでクレバーで強い男。そうでなければ、ゴッサムシティの警部補(警部に昇進)は勤まらないのだ。彼の照射するなまなましい「生」の光線が、ゴードンの影、=バットマンを鋭く浮かび上がらせる、という構造が、この作品には欠かせないものになっている。
ウェインとゴードン、二人の「コンビ」が結成されるラスト、夜空に点る、巨大なバットライト…とかいったような演出はない。だいいち、ウェインはバットマンの格好すらしていない。そっけない会話が交わされ、お互いを分かり合った二人の男が、それぞれの場所へ帰る。それで十分だ、といわんばかりのシンプルでけれんみのない終幕は、これ以降のストーリーのふくらみを予感させて素晴らしいです。
完全に余談ですが、YEAR ONE、今まで読んだアメコミの中で、一番グラフィックが好き。フランク・ミラー自身の絵もすてきだけど、マズッケリさんの描くちょっとぽってりした線がまた。あとカラーリング、芸術の域じゃね?シーン替わりでの左右のページの色味の塗り分けしてるところなんか、鮮やかで悶えます。着色そのものは、原色使わない、渋かったり淡かったりの微妙な色合いなんだよねぇ。巻末の付録にあった、線画と独立した彩色原稿は、あれだけで一枚の絵として成立してる。あと単行本化以前の、新聞紙に印刷されたコミックブックの時点での彩色も素晴らしい。むしろアレで読みたい、くらいの感じです。リッチモンドさん、ゴッジョブ!(GOD-Job!)
Posted by watanavader - 2007.12.20,Thu
Litt wrote :
個人的な話で申し訳ないけど、繰り返す徹夜の果てに潰しても潰しても減らないゴミ屑のような仕事や、時ならぬノロウィルスの猛襲を乗り越えて、やっとこの話をすることができてとても嬉しい。
時は来たれり。遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!大げさ!
でもそれくらい良いマンガでしたよ二冊とも。んじゃまずはアストロシティから。
Astro City : Confession
細かなエピソードの連なりがシティ全体の世界観を美しく紡いだ1巻に比べ、ストレートかつ骨太!にヒーローの「あるべき姿」を描いた、シリーズの邦訳二冊目。最終一話以外は、表紙にも描かれた「コンフェッサー」と「オルターボーイ」のお話で構成される。前巻よりも本気(マジ)な姿勢は、「ヒーローの誕生」あるいは「継承」?といったテーマからもうかがえる、ような気がします。
お話は、ざっくり言うと田舎町からバスに揺られて都会(アストロシティ)に出てきた天パの少年が、父とは違う生き方を求め、ヒーローと出会い、理想を失い、「○○○」を獲得するまでの物語。この主人公の少年が、あんま笑わないんだよね。いや笑う場面はあるのだけど、大抵は若者らしく渋面作って悩んでらっしゃる。彼にとってはもう一人の父、とも言えそうなコンフェッサーとの場面においても、笑顔を交わすようなことはほとんどなくて、虚栄心や憧れ、成長の喜びや焦りといった感情のかずかずがめまぐるしく交錯する少年の内面が、その重苦しい表情によく表れています。
少年がなぜヒーローになりたいと思ったか、という部分にその悩みのそもそもの要因があって、それは結局「誇り」ということじゃないかな、と思った。本当は、自分とその直接のルーツである父親に胸張って誇りを持ちたいのに、周囲はその父(=作品における「ヒーロー」の暗喩)を理解しようとせず、むしろ軽蔑されていたりする。ストーリー中でも、ひとつの事件をきっかけに、アストロシティのヒーロー達はどんどん株を落として、民衆の人気を失い、ヒーロー活動を制限される(当局にタイホされる)という事態に陥ります。そのからくりが暴かれる場面がこのエピソードのクライマックスになり、そこで実現される「ある事」が、少年を変え、事態をべつの方向へと導くきっかけとなります。
はっきり言って、このマンガの戦い自体はとても地味だ。宇宙規模の陰謀っつってもわりとスケール的には小さいし、あんだけヒーローが出てくるにも関わらず、能力合戦みたいな見せ場はほとんどない。そういったネタ的な部分はむしろ1巻が担っていて、でも、じゃあなぜ2巻でもそれをやらなかったの?と思う人だっているだろう。それはきっと、今テーマの焦点をブレさせないためだ。本来コミックスにとっては「おいしいトコロ」なはずでもある、派手な戦闘場面や超がつく程の個性的なキャラをあえて封印してまで(主人公のコンフェッサーとオルターボーイはとても古典的なアメコミヒーローの姿をしている。というかバットマンとロビンに見える)作者のカート・ビュシークが言いたかったのは(逆説的に聞こえるかも知れないが)、「本気でヒーローやってんだ。パロディじゃないんだ」ということじゃないだろうか。
大きな戦いが終わり、ある場所を訪れた少年の顔に、やっと初めての笑み(本当の意味での)が浮かぶ。
誤解や、はりつめていた緊張や、認めたくなかったある心情を乗り越えて、何かを得た男の顔がそこにある。もうここ!すごくいいカットだと思うんだよね。で、前述の「○○○」です。少年が得たものってなんだったのか?それは「救い」だったり「赦し」だったり、あるいは「人生」だったりするのかも知れないけど、無理して何かの言葉を当てはめる必要はない気もする。俺にとっては何か、は言えるけど、それが他の人にも当てはまるとは限らないしね。
サブタイトルの「コンフェッション」を辞書で引いてみると、「罪の告解」や「懺悔」といった意味であるらしい。「コンフェッサー」は懺悔する人?うんなるほど。
人は弱いものでもあり、内に何らかの罪や、後ろめたい思いを抱えているものだ。だがそこに挫けず、過去への忸怩たる思いだけを断ち切って、全部抱え込んだうえで、自分の人生を戦ってゆく。そうした「決意」あるいは「覚悟」が、エピソードの最後のページ、もうボーイではないボーイの台詞(&姿)に完全に表現されている。ヒーローマンガとして、これ以上のしめくくりはないだろうと思わせる、見事な終わり方だと思うのです。
それにしてもこのサブタイ、悲しすぎるよネ。
シリーズの続刊に関して、ひとつ心配なことが…。2巻の最終エピソードである事件が綴られるのだが、あのさ、サマリタン、大変なことになってね?おれこいつの1巻の話が一番好きなんだけど…と思って本家のサイト見たら、エンブレムっぽいマークの、ちゃんと中心になってたから大丈夫かな?これ「ヒキ」ってやつですか?釣られちゃった?俺。
やーこんなに書くことあると思ってなかったんで…YEAR ONE はまたこんど。すみません。
個人的な話で申し訳ないけど、繰り返す徹夜の果てに潰しても潰しても減らないゴミ屑のような仕事や、時ならぬノロウィルスの猛襲を乗り越えて、やっとこの話をすることができてとても嬉しい。
時は来たれり。遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!大げさ!
でもそれくらい良いマンガでしたよ二冊とも。んじゃまずはアストロシティから。
Astro City : Confession
細かなエピソードの連なりがシティ全体の世界観を美しく紡いだ1巻に比べ、ストレートかつ骨太!にヒーローの「あるべき姿」を描いた、シリーズの邦訳二冊目。最終一話以外は、表紙にも描かれた「コンフェッサー」と「オルターボーイ」のお話で構成される。前巻よりも本気(マジ)な姿勢は、「ヒーローの誕生」あるいは「継承」?といったテーマからもうかがえる、ような気がします。
お話は、ざっくり言うと田舎町からバスに揺られて都会(アストロシティ)に出てきた天パの少年が、父とは違う生き方を求め、ヒーローと出会い、理想を失い、「○○○」を獲得するまでの物語。この主人公の少年が、あんま笑わないんだよね。いや笑う場面はあるのだけど、大抵は若者らしく渋面作って悩んでらっしゃる。彼にとってはもう一人の父、とも言えそうなコンフェッサーとの場面においても、笑顔を交わすようなことはほとんどなくて、虚栄心や憧れ、成長の喜びや焦りといった感情のかずかずがめまぐるしく交錯する少年の内面が、その重苦しい表情によく表れています。
少年がなぜヒーローになりたいと思ったか、という部分にその悩みのそもそもの要因があって、それは結局「誇り」ということじゃないかな、と思った。本当は、自分とその直接のルーツである父親に胸張って誇りを持ちたいのに、周囲はその父(=作品における「ヒーロー」の暗喩)を理解しようとせず、むしろ軽蔑されていたりする。ストーリー中でも、ひとつの事件をきっかけに、アストロシティのヒーロー達はどんどん株を落として、民衆の人気を失い、ヒーロー活動を制限される(当局にタイホされる)という事態に陥ります。そのからくりが暴かれる場面がこのエピソードのクライマックスになり、そこで実現される「ある事」が、少年を変え、事態をべつの方向へと導くきっかけとなります。
はっきり言って、このマンガの戦い自体はとても地味だ。宇宙規模の陰謀っつってもわりとスケール的には小さいし、あんだけヒーローが出てくるにも関わらず、能力合戦みたいな見せ場はほとんどない。そういったネタ的な部分はむしろ1巻が担っていて、でも、じゃあなぜ2巻でもそれをやらなかったの?と思う人だっているだろう。それはきっと、今テーマの焦点をブレさせないためだ。本来コミックスにとっては「おいしいトコロ」なはずでもある、派手な戦闘場面や超がつく程の個性的なキャラをあえて封印してまで(主人公のコンフェッサーとオルターボーイはとても古典的なアメコミヒーローの姿をしている。というかバットマンとロビンに見える)作者のカート・ビュシークが言いたかったのは(逆説的に聞こえるかも知れないが)、「本気でヒーローやってんだ。パロディじゃないんだ」ということじゃないだろうか。
大きな戦いが終わり、ある場所を訪れた少年の顔に、やっと初めての笑み(本当の意味での)が浮かぶ。
誤解や、はりつめていた緊張や、認めたくなかったある心情を乗り越えて、何かを得た男の顔がそこにある。もうここ!すごくいいカットだと思うんだよね。で、前述の「○○○」です。少年が得たものってなんだったのか?それは「救い」だったり「赦し」だったり、あるいは「人生」だったりするのかも知れないけど、無理して何かの言葉を当てはめる必要はない気もする。俺にとっては何か、は言えるけど、それが他の人にも当てはまるとは限らないしね。
サブタイトルの「コンフェッション」を辞書で引いてみると、「罪の告解」や「懺悔」といった意味であるらしい。「コンフェッサー」は懺悔する人?うんなるほど。
人は弱いものでもあり、内に何らかの罪や、後ろめたい思いを抱えているものだ。だがそこに挫けず、過去への忸怩たる思いだけを断ち切って、全部抱え込んだうえで、自分の人生を戦ってゆく。そうした「決意」あるいは「覚悟」が、エピソードの最後のページ、もうボーイではないボーイの台詞(&姿)に完全に表現されている。ヒーローマンガとして、これ以上のしめくくりはないだろうと思わせる、見事な終わり方だと思うのです。
それにしてもこのサブタイ、悲しすぎるよネ。
シリーズの続刊に関して、ひとつ心配なことが…。2巻の最終エピソードである事件が綴られるのだが、あのさ、サマリタン、大変なことになってね?おれこいつの1巻の話が一番好きなんだけど…と思って本家のサイト見たら、エンブレムっぽいマークの、ちゃんと中心になってたから大丈夫かな?これ「ヒキ」ってやつですか?釣られちゃった?俺。
やーこんなに書くことあると思ってなかったんで…YEAR ONE はまたこんど。すみません。
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男性
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ここは二人の人間が管理してます。
第1発言者のwatanavader、
第2発言者のLitt。
基本Posted by watanavaderで、Littが発言する場合には“Litt wrote:”とことわりを入れる体裁をとっています。日夜文明の崩壊を回避する為、心理歴史学を駆使して世界を影から支えております。
(注意・心理歴史学はSF小説「ファウンデーション」に登場する学問です)
第1発言者のwatanavader、
第2発言者のLitt。
基本Posted by watanavaderで、Littが発言する場合には“Litt wrote:”とことわりを入れる体裁をとっています。日夜文明の崩壊を回避する為、心理歴史学を駆使して世界を影から支えております。
(注意・心理歴史学はSF小説「ファウンデーション」に登場する学問です)
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